今こそ先義後利に学ぶ①

久しぶりのブログを書かせて頂きます。世界中で新型コロナが猛威を振るっており、我が日本も第2波ともとれる感染者が日に々急速に増えてきており、予断を許さない状況に陥っております。これ以上経済を停滞させるわけにはいかず、さりとて経済を最優先させると感染者が増大していき、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでおそろおそろ前進していかなければなりません。

ほんとにやっかいな日常になってきました。でも自分が思う人のあり方は人に会って目を見て肌と肌を触れあわせてはじめてコミュニケーションがとれてお互いが良い関係で長くお付き合いができるというものではないでしょうか、今の時代このコロナ過で人とはリモートで話をしてそれで事が足りると社会が容認するようになってきました。また今までいかに無駄な訪問やアナログなやり方でコストをかけていたかと気づかされたと多くの企業が声を揃えて言っていますが果たしてそうでしょうか、確かに感染予防の観点からは意義のある事でしょうけど、本来の人としての関わり合いではないですね、このコロナが終息した折には今一度人間としての基本理念に立ち返りよい良い社会を築きあげたいものです。

さて今回は先義後利というお話です。道義を優先させ、利益を後回しにすること。「義」は人として当然あるべき道の意味。「利」は利益のこと。「(義)ぎを(先)さきにして(利)りを(後)あとにする者は栄える」との教えです。時は1712年享保2年「大丸」の業祖、下村彦衛門は29歳で京都・伏見に大丸の前身である呉服屋「大文字屋」を開店した。その後、彦衛門は順調に商売を広げていき創業20年の節目に荀子の言葉を借りて自らこう記したのである。

彦衛門は兼ねてから貧しい者には施しをいとわない「義の人」であった。世間では目先のことで商いをする者があるが、そういうやり方は嫌いだと言い残している。そして彦衛門は「人は正直で慈愛に富むのが一番、衣服や食事のおごりもいけないが、心のおごりが最もいけない。いかに才知に優れていても不義理な者は社会の役に立てない。まして主人たるものは、正直・律儀で慈愛深くなければ多くの人たちの上には立てないと義の人を貫いた人であった。