私の心を打つ金言集 ③

「神われらと共に」

夢を見た、クリスマスの夜、浜辺を歩いていた。主とならんで、砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。私のそれと、主のそれと、ふと思った、夢の中でのことだ。この一足一足は私の生涯の一日一日を示していると、立ち止まって後ろを振り返った。

 

足跡はずっと遠く見えなくなる所まで続いている。ところが、ところどころ、二人の足跡ではなく、ひとりの足跡しかないのに気がついた、私の生涯が走馬灯のように思い出された。なんという驚き、ひとりの足跡しかないところは、生涯でいちばん私が暗かった日とぴったり合う。

 

苦悶の日々、悪を望んだ日、利己主義の日、試練の日、やりきれない日、自分にやりきれなくなった日、そこで主のほうに向き直って、あえて文句を言った。

 

「あなたは、日々私たちと共にいると約束されたではありませんか、なぜ、約束を守ってくださらなかったのか、どうして、人生の危機にあった私をひとりで放っておかれたのか、まさにあなたの存在が必要だったときに」ところが、主は私に答えて言われた。

 

「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、それは私が君をおぶっていた日なのだよ」

 

私たちは現世では、一人で泣いて一人で苦しんでいるように思いますが、そうではありません。知らず知らずに誰かが陰で支え、祈り導いてくれたから今があるのではないでしょうか。

この詩はアデマール・デ・パロスというブラジルの詩人の「神われらと共に」というすばらしい詩です。

曽野綾子 著書

「老いの才覚」より

散る花の潔さ

ようやく春を迎えて新しい年度に変わりました。                                          今年は雨が多くて道端の木々や草花も活き活きとして嬉しそうです。季節の移ろいは人の世の情けやら厳しさやらとよく似ていて、冬の凍るような寒さを耐え忍んだ者が春の穏やかな暖かい優しさに触れる事ができ、そして夏には熱い思いをたぎらせ燃えるような激しい思いで事にあたり、秋にはしっとりとした爽やかな空気の中で我を見つめなおす。

 

私自身も60回もの四季を味わってきました。                                               桜の木は今は葉桜になりましたが、毎年美しく満開の花びらを咲かせて我々を楽しませてくれます。当の桜はそのようなことを一切考えずに大自然の習わしに身を任せているだけでしょうが、私はあの桜の花の一瞬にして見事に咲き誇り一瞬にして散っていくその姿に、我も散る時は静かに充足感溢れる笑みを浮かべて潔く散っていきたいと思います。また、それこそが美しいのだと感じます。その日が来るまで一日一日満開の花が咲き誇るような生き方で過ごしたいものです。