平成24年7月3日 東日本大震災の爪跡を訪ねて

 2011年3月11日東日本を襲った大地震と大津波は一瞬にしてすべてのものを奪い去った。平成24年7月3日梅雨空の小雨降る伊丹空港を午前10時ジャストのフライトで午前11時15分に定刻とおり仙台空港に降り立ちました。天候は大阪とは打って変わっての涼風漂う晴天の下、一路東北道を北上し女川町の被災地を目指しました。高速道路は交通量も少なく道路を挟んで海側と内陸側とは少し景色が違うところもあり、塩害を受けた田畑は雑草が生い茂り被害を免れた水田は青々と稲が生育していました。そして約4~50分走ったでしょうか、ようやく女川町に到着しました。

 女川町は宮城県の中部地区に属し、その北東部に位置します。日本でも有数の漁港でもありカキ、ホタテガイ、銀鮭の養殖が盛んで豊富な魚種が水揚げされています。その地に入り、まず驚いたのは綺麗に瓦礫が片付けられていて一面何も無いただ広々とした大地が続いているだけでした。しかし、その所々に学校や役所などコンクリート塊だけになっている建物やビルを見るとその津波のエネルギーの凄さに驚きを隠せませんでした。そして、高台にある女川町立病院の駐車場に車を止めて町全体を見回すとひとつの町がすっかり消え伏せているのに、これは現実なのかと疑うばかりでした。その病院の1階の柱には津波の押し寄せた高さがしるしてあり、なんとその高さが海より20m位はあって改めてこの津波では家屋やビルが一瞬にして破壊されてしまい、ましてや人などはすぐに絶命に至ると感じました。深く考えさせられた後に亡くなられた方々のご冥福を祈りながら車は南三陸町方面に向かいました。

 南三陸町は宮城県の北東部に属し本吉郡の南端に位置します。東は太平洋に面し三方を標高300m~500mの山に囲まれており海山が一体となった自然豊かな町です。この地域もカキやホタテガイなど海面養殖が盛んな場所です。そこをあの日、地震の後に容赦なく津波が押し寄せました。海岸にむかう道中であの日、テレビで観た津波は田畑を逆流してすべてを飲み込む大蛇のごとく大地を這っていたように覚えています。その場所は今も所々荒れ果て傷が癒えていない状況でした。海岸付近にあった水産会社は跡形もなく破壊され、残っている建物も見るも無残な廃墟になっています。

 女川町と南三陸町は同じリアス式海岸で非常に津波の影響を受けやすい地形です。豊富な海の恵みにあずかろうと湾の近くに暮らすのは当然の事ですが、過去に何度かこのような災害に遭っていたのにも拘らず、悲しい結果になってしまったのが非常に残念です。

 日本では東北の方角は鬼門の方角で、この国を東北の人々が守護してくださっていたと思います。その地域がこれだけのダメージを受けるということはこの国がもう一度衿を正し、人としての価値感を根本から見直、し平和で豊かな精神の国に戻すようにとの啓示ではないでしょうか。これからは防災認識を何百年単位で考え、この大惨事の記録を風化させないように、我々も胸に刻んで復興に協力していかなければならないと痛切に感じ宮城県をあとにしました。