2019年年初に思うこと

皆さん新年明けましておめでとうございます。昨年は大阪には6月に大阪北部地震や9月に台風21号の被害など日本列島全体でも自然災害の多い1年でした。また今年5月には新しい天皇の誕生で2019年は元号も変わります。平成の最後の年で世界の経済や政治は混沌とした局面に入りましたが新しい年ではそのような閉塞感漂ういやなムードも払拭し元気に勢いよく良い方向に前進していく年になるように願うばかりです。

 

さて今回は“徳”について少し書きますが平成の時代の世の中はあまり良くないことばかりだったような気がします。バブルの崩壊、長引く不況感のデフレ、オウム真理教サリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災や御嶽山の火山噴火や昨年の大阪北部地震や北海道地震に西日本豪雨に大型台風の襲来など大災害の多い30年でした。そしてアメリカを始めとした世界経済の減速や混迷する政局、衰退していく倫理観や教育、これはこの平成という時代に“徳”がないのではないかと考えてしまいます。

 

昔ならとっくに元号を変えていたと思いますね、話を人の問題に置き換えますとアメリカで家計調査報告書というのがあり、その記録のなかでこのような事があるのです。ジュークという人は1720年ニューヨーク州で生まれましたがその性格は怠惰で粗暴の無頼漢であった。1877年の調査では彼の家計は六代を経る中で1200人の子孫がありその生い立ちは怠け者、背徳漢、貧弱、病弱、知的障害、精神障害、犯罪者が生まれた。この間300人が嬰児期に死亡、440人が病的行為で肉体的に破滅、前科者は130人で60人が窃盗、7人が殺人、手に職をつけたのは僅か20人だった。

 

ジュークと同年代に生まれたJ.エドワードは代表的な清教徒で神学者。1900年に彼の家計は1394人を数えた。その内3人が大学総長、65人が大学教授、100人以上が牧師や神学者、75人が陸海軍将校、法律家は100人以上、公職についた80人の中には副大統領が一人、上院議員が3人、他に知事、下院議員、市長、公使、15の鉄道、多数の銀行、保険会社、産業会社などがこの家計の人々によって運営されていたという記事です。このことを見ると一人の人間の“徳”がいかに将来大きな影響を及ぼすか、私たちは肝に銘じなければならないと思います。過去は変えられませんが未来は変えられるのです。自分の先祖にどんな方がおられようと自分が“徳”を作れば子孫は恩恵を受けて繁栄するのです。

 

人間に生まれてくること自体が“徳”を持っていることなのです。それを耕すのも枯れさせるのも己の心がけひとつです。まずは明るく清く、人を愛する事を忘れず、すべてものに善をもって尽くし、感謝をして誠実、正直、勤勉に生きる。

ではどうして“徳”を作るか

  1. 熱意 (自分を磨き、人の役に立ち、良識ある人間になろうとする熱意)
  2. 知識 (いくら熱意があっても知識を磨ない者は成長する事ができない)
  3. 場を生かす (与えられた場所でベストを尽くす)   

  

最後に“倹を以って徳を養う”という言葉がありますが倹とは単に無駄遣いをしないということではなく慎むということでもあります。傲慢こそは“徳”を損なう最大のものであると私たちは忘れてはならないのです。我々も今日から気持ちを新たにして“徳”を積むように努力をしましょう

 

会社のトップも同じです。日々自己研鑽に励み、誰よりも周りの人々や環境に気を配り己の徳を積むことです。天は見てござる。です。会社に運が向くのもトップの心がけでしょう。トップが己の徳を積むことで商いの女神は微笑んでくれるのです。会社のナンバー2ではダメなのです。ナンバー1が率先して社会のために人のために小さい事でも続けるのがその会社が継続して繁栄して行く道と確信しています。

生涯の旅路   坂村 真民

私は私の一生の旅路において

今日というこの道を再び通ることはない

二度と通らぬ今日というこの道

どうしてうかうか通ってなろう

笑って通ろう歌って過ごそう

二度と通らぬ今日という道

嘲笑(あざわらい)されてそこで反省するのだよ

叱られてそこで賢くなるのだよ

叩かれてそこで強くなるのだよ

一輪の花でさえ風雨をしのいでこそ

美しく咲いて薫るのだ

侮辱されても笑ってうけ流せ

蹴倒(けたお)されても歯をくいしばって忍べ

苦しいだろうくやしいだろう

しかし君、この道は尊いといわれた人たちが

必ず一度は通った道なんだ

一灯照隅

 いっとうしょうぐう

一灯照隅

まんとうしょうこく

万灯照国

 

ひとりが明かり(提灯)を持っても隅しか照らせないが、皆が持てばこの国をも(照らす)変えることができる。  

大事なのは皆が持たないのに自分だけ持っても仕方がないと考えるのではなく、他の人はどうであれ、まず自分がひとつを持つということが大事なのです。そうすればそれを見て誰かが必ずまたひとつ持ってくれるものである。