半世紀ぶりの再会(前編)

それは8月のある土曜日の夕方でした。会社に居てる息子から1本の電話が携帯に掛かってきました。ご苦労さん”どうした”何かあったんか、と聞くとすみませんが社長は小日向(仮名)さんという人は知っていますかと唐突に聞いてきたので、えっ!小日向?数秒考えてから、そういえば小学生のときに一緒に良くやんちゃしていた友達がその名前だったのを思い出し知っているけどと言うとちょっと代わりますと言って数秒後その電話から聞こえてきた言葉が“くみたく~ん”と懐かしく久しぶりに聞く声ではありませんか

すぐに僕の頭は50年前にフラッシュバックして“こひなたく~ん”と僕も童心に返って名前を呼んでいました。どうしたん?と言うと、くみた君に会いたくてずっと大阪に来るたびに小さい頃に住んでいた辺りを探していたのだけど解らずに名前で探したらこの会社の代表をしているとわかったので突然だけど来たんよ!それで今は名古屋に住んでるんよ、とテンション高く話しをしてくれるではないですか、またなんで今日は大阪に来たん?と聞くとおふくろが昔住んでいた家をどうしても見たいと言うから連れて来たんよと言い今から会える?と言われたのですが僕は市内でまだ野暮用があり今日はどうしても無理だわ、と言うと、じゃあ息子さんに名刺を渡しておくのでまた連絡くれる~!了解!必ず電話するわ~といってその時は電話を切りました。

彼とは小学校の高学年から中学校へ上がってからの数年間の間、毎日のように一緒に良く遊びましたがお父さんの仕事がうまく行かずにある日僕の前から忽然と居なくなりました。その原因が僕にもあるのではないかとずっと悩んでいたのです。それは彼と一緒に小学校の頃、天王寺に遊びに行っているときのことです。天王寺公園にはその当時はよく街頭で人を集めてびっくりするような事をしてみせてから物を売る街頭売りみたいな人がよく来られ、その時に見た蛇使いのおっちゃんがガマの油みたいなものを売っていました。それを興味深くみていると最後にそのおっちゃんが今ここにアオダイショウの蛇をもってきたら2000円で買ってやると言ったものだから小日向君は“くみた君”僕の家の庭にアオダイショウがいてるから捕りに行こうということになり急いで電車に乗り彼の家に向かいました。その当時の2000円は僕らには大金も大金で夢のような金額です。早速彼の家の庭で捜索です。

 

彼の家の庭は桃ヶ池のほとりにありその池の淵に生えている草むらを長い棒で追い出そうと必死になって突いていました。そうすると2匹のアオダイショウが飛び出してきました。慌てて捕獲しようとしましたがうまくいかずその蛇は池の沖のほうへ泳いで逃げていくではありませんか、ああ~あ!逃げていったわ、あかんなぁ~と肩を落としがっかりしながら家を出てその池の別の場所で遊んでいると池の沖合いから何かがこちらに向かって泳いでくるではありませんか、なんや!と目を凝らしてよく見ると蛇です。先ほどのアオダイショウかどうかは分りませんがまっしぐらに僕たちの足元近くへ泳いでくるではありませんか、こりゃチャンスだと捕まえようと岸辺に上がろうとした蛇を帽子の中に押し込み“くっみん”(僕の愛称)早くあのおっちゃんの所にこの蛇を持っていこう!よっしゃ!そして僕らは急いで阪和線に飛び乗りまたまた天王寺へ向かいました。

 

その道中の車内でおとなしく二人で座席に座っていると急に蛇が抑えている帽子の中から顔を出すではありませんか、うわーっ!やばい!とまた二人掛りで抑えて押し込み周りには知らん顔をして早く天王寺に着かないかなぁと思いながら力いっぱい小日向君がその蛇を抑えていました。ようやく駅に着き小走りに街頭売りのおっちゃんのところに行き、おっちゃん蛇を持ってきたよ、2000円で買ってくれるんやろ!と喜んで言うと帰り支度をしていたおっちゃんはこちらを怖い顔でにらみ付け“おまえらアホかっ!そんなこと真に受けて聞いとったんか、このガキと大声で怒鳴られ、僕らはびっくりです。こりゃまずいとスゴスゴとその場を離れ、”くっみん”どうする、この蛇は、持って帰るわけにも行かずに、あっそや!目の前が天王寺動物園や!そこに放したろうや、と言って動物園の柵の所に逃がしてやりました。ヤレヤレ!大人は嘘つきやなぁ~と二人は顔を見合わせ落胆してトボトボと家路に向かいました。さあそれからです。運命の歯車が狂っていったのは、後編に続く。

 

 

 

 

 

 

ベトナム実習2期生獲得訪問日記

平成30年9月10日(月)

今日からベトナムに2期生実習生の面接に向かいます。

本来なら関西国際空港より出立するはずでしたが台風21号の被害を関空も大きく受けて急遽中部国際空港セントレアより飛び立つ事となりました。朝3時半に起床して部下の奥さんに最寄りの駅まで送って貰い新幹線で一路名古屋へ、そして在来線で空港へ!

 

関空が閉鎖されているので空港ロビーは人・人・人で溢れかえっています。定刻通りのフライトで座席は非常口の横です。この場所は足元の前は何も無く真正面にC.Aが座りますが広くて楽チンだわ、しかし万が一の場合は非常口のため乗客避難の際はお手伝いを頼まれます。飛行時間はハノイまで5時間強です。どうのこうの言っている間にハノイに到着、やはりハノイは暑いです。迎えの車に乗り込み空港より一路ホテルへ向かい到着です。ヤレヤレほっとして一安心。

 

平成30年9月11日(火)

二日目の朝も良いお天気です。今日は実習生の面接です。今回はこちらの送り出し機関である会社で70人の応募者の中から半分の35人まで絞り込んで頂き朝の8時から面接開始です。昨年も経験しているので要領は掴んでいるつもりですが今回はほとんどの子達が18~19歳です。今年の2期生は8人の採用で臨みます。まずは5人ずつ部屋に入れて1人ずつに自己紹介をしてもらいます。

 

まずは覚えて練習した日本語の発音などを採点します。その次はこちらの質問です。過去にほめられたことと叱られたことはどのような事があったか、自分が幸せと感じる時はどういうときか、将来の夢とかを一人ひとりに聞いていきます。大半はあたりさわりの無いような答えをしてきます。ただ多いのは家計を助けて親の喜ぶ顔が一番嬉しいとの回答が多いです。そこは今の日本人にはほぼ忘れてしまったところでしょうか、

 

今の日本人の風潮は今だけ、ここだけ、自分だけです。皆がそうだと言いませんがそれがまかり通っているのが現状です。35人の面接が終わった後で8人に絞るのですが、これがまた難しい作業です。我々3人が良いというのが少し違うので意見をぶつけ合いその調整をするのに2次面接です。そこでまた何人かを決め、また3次面接に何人かを決めてようやく全員一致で8人が決まりました。その全員を集めてここからがあなた達のスタートです。しっかり今から日本語の勉強をしてくださいと挨拶をして全てが終わったのが夕方5時過ぎでした。ああ終わった。今日は美味しいベトナム料理で疲れを吹き飛ばしましょう

 

平成30年9月12日(水)

三日目の朝です。ホテルでの朝食を終えて、さあ今日は男子の実習生の面接です。男子は初めて採用するのでどうなることかと思いましたが2人の採用人員で9人の面接者ですから昨日の事を思えばまだ気は楽です。9人ですので3人ずつの面接です。さすがに男子ですので元気が良いのと声が大きいです。

 

学校の勉強の成績はどうだったかとか聞いて自分自身の内観凝視をさせます。将来の夢は在越企業で働きたいと言うのがほぼ全員が目標としているみたいです。そのなかでも徴兵から帰ってきた青年は誰よりもハキハキしていて気持ちがいいです。日本のワンピースのアニメが大好きと言っていました。

 

ワンピースのどこが良いですかと聞くとストーリーも面白いですが何よりも友情を重んじているところが大好きですと言っていました。今日はそんなに迷わずに2名を選び食事は日本料理屋で話が盛り上がり充実した夜でした。

 

平成30年9月13日(木)

四日目は午後より家族面談です。朝はゆっくりさせて頂き午前中はベトナムの歴史博物館など見学に行き美味しいカフェで休憩をしてその後ハノイで一番人気のある外国メディアにも良く取り上げられるフォーの店に行きました。さすがに人気店だけのことはあり店の外まで客は並んでいます。少し待って店内に入り、出てきたフォーの味は良くその店々で味が違うのが良く解りました。

 

そして午後より家族面談です。採用決定をした実習生たちの親御さんたちに当社の会社の説明とビデオをみせて大まかな仕事の内容を観て貰いました。僕の挨拶では3年間日本の親として大事に見守り日本の仕事の取り組み方と考え方並びに日本の文化を学び今よりも立派になってもらって親御さんにお返しいたします。と挨拶を終えて何か質問はないですかと聞くと一人のお母さんがこの度は息子を採用していただき有難うございますと言った後での事です。

 

これで安心して送り出せますがひとつお願いがあります。と言っておっしゃった事がどうか息子を甘やかさずにビシビシ厳しく指導してくださいと言われ昔の日本人の親もこのように言っただろうが今の親にはこのような考えはないだろうなとつくづく思いました。そして全ての仕事が終わり一路空港へ、

 

平成30年9月14日(金)

現地時間00時15分発中部国際空港着が日本時間06時55分に到着し大阪に着いたのが11時過ぎでした。来年の春に今回の実習生を迎い入れ、また新しい会社の歴史の1ページが始まるかと思うと楽しみ半分責任の重さが半分の心境です。彼女や彼らの夢を叶えられるように厳しくまた時には優しく指導していきたいと思っています。ベトナムの人たちの気質は日本人と良く似た価値観であるのかなと感じております。これが少しでも日本とベトナムの友好に一役買えればこの上ない喜びです。

 

73回目の終戦記念日に思うこと

今年も先の大戦から73回目の夏を迎えました。テレビではあの戦争で愛する人を亡くした方の悲しみを思い、また悲惨な争いの犠牲になられた人たちに哀悼の意を捧げる行事が一日中流れていましたがあの戦争がなぜ起こったのかを知る人がどのくらいおられるのだろうか、戦争反対!絶対この平和を守らなければとか口では簡単に言えます。その当時の人々も平和の尊さや戦争の悲惨さは解っており誰も戦などしたくは無かったと思います。ではなぜ戦争に至ったのかを検証しなければなりません。

あの太平洋戦争は日本では大東亜戦争と呼ばれ新しいアジアの新ルールを作る戦争であると認識していました。そもそも、日本がこの戦争を起こした目的は、インドから東南アジア、中国大陸、日本列島に至る「東アジア(東亜)」から欧米諸国の植民地政府を追い出し、彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心に「大東亜共栄圏」という共同体を構築することで新たな秩序を築くことでした。「大東亜戦争」という名称に、そのような「大義」を表していたのです。

アメリカをはじめとする連合国は、日本が「大東亜戦争」を起こす以前に自分たちが東アジアで行っていた残虐行為を指摘され、その欧米諸国の残虐行為を東アジアから追い出そうとした日本(日本=正義)というイメージが日本人や東アジアの人々の間で共有されることを恐れました。そのため、そのような日本の戦争大義の表われである「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を強制したわけです。

つまり、「太平洋戦争」という名称には、戦前に東アジアで行われていたことや、それに対抗し改善しようとした日本の姿勢を隠蔽し、これらの地域(東アジア)の歴史から我々日本人の意識を逸らす効果があるわけです。そのようなGHQの方針により、報道や教育の場から「大東亜戦争」の名称が使用できなくなったため、我々日本人にはこの点(戦前の東アジアがどのような状態だったのかという点)についての知識が欠落しているのです。もともと日本の侵略的戦争が悪でアメリカがそれを叩き潰す正義という名の下で戦後アメリカがそのように決め付けました。

戦争というのはお互いに原因があり本来は喧嘩両成敗です。ところがそういうわけには行きませんでした。中国に進出していた日本とアメリカがその利害でぶつかりました。しかし戦後マッカーサーは日本が戦争に至ったのは侵略ではなくてあくまで自衛のためであったとアメリカの議会で述べたのです。その当時日本はロシアが一番の脅威と感じておりました。欧米諸国よりロシアの侵略征服欲は旺盛でありそこを食い止めるべき大陸に出て行ったのです。

アメリカはその当時は共産主義自体を脅威と思わず中国・ロシアと結託して日本を追い込んでいきました。なんとかしてこの日本をつぶさなければならないと考えたアメリカはABCD包囲網を張り巡らせAはアメリカBはブリティッシュ(イギリス)Cはチャイナ(中国)Dはダッチ(オランダ)の意味です。この国々は日本に対して石油・鉄鉱石・ゴム・生活必需品などを売らず干上がるのを待つつもりでした。それまでいかに戦争を回避できるかなんどもアメリカに交渉をしてきましたがアメリカは日本をつぶしたいので絶対戦争に持ち込みます。絶対飲めない条件を叩きつけ日本を追い込んでいきました。

結局日本は座して死を待つより戦って活路を開くしかないと判断したのです。日本が真珠湾を奇襲攻撃したときにはアメリカ大統領のルーズベルトとイギリスのチャーチル首相は歓喜に酔いしれていました。これで日本を叩き潰し、またアジアを植民地にして虐殺や略奪ができると喜びました。実際のところ日本が国連で人種差別はだめということをいって各国に賛同を得ましたがアメリカとイギリスが反対してこの案件は流れてしまいました。そこで日本は自国の為と東アジア圏の植民地解放を目指して立ち上がったのです。

そこから先は皆さんの知っている通りも負けて降伏している状態なのに原爆を落とされ各都市は爆撃で焦土と化し日本はポツダム宣言を受託し無条件降伏をしました。そしてマッカーサーは二度と日本が立ち上がれないように日本の教育・文化・武士道などを全面否定し日本人に骨抜き教育をしてしまいました。

お陰で(皮肉ですが)今の日本人の体たらくぶりはどうですか、人の迷惑顧みず我がのことだけ、倫理も道徳もどこかに置き忘れてきたかのような信じられない新人類たち、しかしその反面、東日本大震災における日本人のマナーの良さ、あれは東北地方でちゃんと日本人の遺伝子が繋ぎとめられている地域だからです。都会では略奪やら強奪が起きていたかも解りません。いずれにしてもこのままいけばまた世界大戦になりかねません。

そうでしょ、我がの事が最優先で人の事なんかまったく、どうでもよいのですから、そうなると人を蹴落としてでも自分は良い思いをするというのは必然です。また世界が危ない時代に入っていきますよ、心してかからないと、今度の戦争は人類大量絶滅になります。ですから今一度どうあるべきか皆で考え賢い選択をすべきですね、とにもかくにも我々がこの平和と言う国家の上を2本の足で立てているのは先の大戦で散っていった数多くの人達の屍の上に立てていることを忘れてはならないと思います。