生涯の旅路   坂村 真民

私は私の一生の旅路において

今日というこの道を再び通ることはない

二度と通らぬ今日というこの道

どうしてうかうか通ってなろう

笑って通ろう歌って過ごそう

二度と通らぬ今日という道

嘲笑(あざわらい)されてそこで反省するのだよ

叱られてそこで賢くなるのだよ

叩かれてそこで強くなるのだよ

一輪の花でさえ風雨をしのいでこそ

美しく咲いて薫るのだ

侮辱されても笑ってうけ流せ

蹴倒(けたお)されても歯をくいしばって忍べ

苦しいだろうくやしいだろう

しかし君、この道は尊いといわれた人たちが

必ず一度は通った道なんだ

一灯照隅

 いっとうしょうぐう

一灯照隅

まんとうしょうこく

万灯照国

 

ひとりが明かり(提灯)を持っても隅しか照らせないが、皆が持てばこの国をも(照らす)変えることができる。  

大事なのは皆が持たないのに自分だけ持っても仕方がないと考えるのではなく、他の人はどうであれ、まず自分がひとつを持つということが大事なのです。そうすればそれを見て誰かが必ずまたひとつ持ってくれるものである。

半世紀ぶりの再会(後編)

その後、蛇事件のあとも二人は一緒にやんちゃばかりをしている悪ガキでした。それが僕に何も伝えずに目の前から居なくなり“なんで“と考えてばかりでした。どうもお父さんの会社が倒産をして夜逃げさながら出て行ったみたいと後で誰からとは無く耳に入ってきました。僕はそのように家を出て行かなくてはならなくなったのは家に棲み付いている蛇はその家の守り神と後で聞いたのでその蛇を追い出してしまったのが原因ではないかと悩むようになりました。小日向君にはほんとうに悪いことをしたのかも知れないと彼を思い出すたびに心の奥深くにその事が蘇っていました。それが半世紀ぶりに電話をくれて元気に暮らしていると聞き心より安堵しました。

その電話ですぐさま僕の気になっていた蛇事件の事を小日向君に話をしました。小日向君あれが悪かったのと違うかなと話をしたら、そんなこと無いよ、そんなん気にしすぎや!と言ってくれたのでようやく長年の苦い思い出と涙が取り払われたような気がしました。ところで今何をしてんの?と聞くと今は東海三県で飲食店のチェーン店を展開しているとのことで、すごいなあ~!でも成功してくれていてほんとに良かったと心の中で喜んでいる自分が嬉しかったのです。その時に小日向君は必ず連絡をしてほしいと言ったので、名古屋には仕事で行くこともあるので必ず連絡するね、と言った後、なにかほんとに小さい頃のあの無邪気で楽しい日々が思い起こされて幸せな気分に浸ることが出来た胸躍る感動的な一日になりました。

それから1ヶ月ほど経った頃にようやく時間が取れて小日向君のところに行ける事になったのですぐさま電話をしてごめんね、遅くなって、今度そっちへ行くからと言うと彼はほんとに喜んでくれました。そして泊まるところも用意をしてくれました。さて当日ホテルのロビーで5時に待ち合わせです。どのように小日向君はなっているのか何といっても50年ぶりの再会ですので楽しみ半分不安も半分です。暫く待っていると表玄関のほうから一人こちらに歩いてくる男性を少し遠いところから眺めていた時です。間違いないあれは小日向君だと確信しました。どことなく小さい時の面影があります。共に年を取り小さいときとは様変わりですが会うなりガッチリ握手を交わし、ほんとにご無沙汰!くみた君来てくれて有難う、表に車を待たせてあるからとホテルの外に出ると運転手さんがいてドアーをあけてくれます。すごいなあ~!こんな高級車に乗っていて、ましてやドライバーさんまで、いやいやそんなことは無いよ、目が悪いのでよくぶつけたりするんで危ないから運転はあまりしないんよ、でもここまでよくビジネスで成功したね、感心するわと彼を讃えて僕はほんとに喜びました。

そして彼の行き付けの寿司屋さんで50年ぶりの再会を祝しての乾杯です。今日はあの日から50年の記念すべき日です。お互いの空白を語り合おうと美味しいお酒です。色々あの頃の話をお互いがこんな事もあったね、あんなこともあったね、とか話は尽きません。その中でも彼は僕の家に遊びに来たとき帰り間際にくみた君のおかあさんにいつも味付けもみのりを頂いて、それを持ち帰ったら家の皆が喜んでこぞってご飯と一緒に食べていました。あれがまた美味しいかったんよ、忘れられないやさしいおばちゃんやったな、と僕の母親のことを懐かしく話しをしてくれました。

それほそうと居なくなってからどうしたんと聞くと、とにかく借金の取立てに毎日のように怪しげな男が家に押しかけてくるわ、親父は暫くその男達と一緒に出て行って帰ってこなくなるわで、これはもうダメだと悟り、ある日家族で家を出て京都府のへき地のバラック小屋のような所で半年の間身を隠していたりして大変やったわ、それから自分は1人で日本の各地を転々として色んな商売をやりながら生計を立てて20数年前に両親と兄妹らと今の所に落ち着きようやく本腰を入れて商いをしたんよと、さりげなく彼は言うけど並大抵の苦労ではなかったと思います。今では何十店舗をもつ飲食店の会長に就任してようやく小さいときの楽しかった思い出を懐古することができるようになったんでしょう、いずれにしてもあの時に一家が大変な思いをした経験が彼のハングリー精神に繫がっているのだと確信しました。人間はどのような状況に陥ってもそれをプラスに変えれる者が人生の成功者になれるうだとつくづく思いました。その彼とは幼年期のころに心を通わせて遊び、また壮年期になってからまたこうして縁があってめぐり合い、今度は老年期からこの命が終わるまでちょくちょく一緒に時を過ごしたいと思っています。

人間生まれて死ぬまで所詮一人旅です。ならば縁のある人達を大事に共に楽しく心通わせその日が来るまで笑顔で生きていきたいと思った今日この頃でした。