大丈夫か!NIPPON!

新型コロナウイルスの猛威が冷めやらぬ今、ようやくワクチン接種が高齢者から始まりました。世間はまた非常事態宣言が発令されて宣言地域の国民は自粛のぶり返し、そういえば一年前に同じ宣言が発令されて大きな代償を払わされました。なのにあれから一年経った今、また同じ宣言が出て自粛の生活がまた始まりました。私は言いたい日本政府よ!この一年間は何をしておった。全く去年と変わらずの国民に不便を背負わせて他の先進国をみてみよ!アメリカはもうマスクを外して日常をほぼ取り戻している。ヨーロッパにしても日本よりはワクチン接種が進んでいる。この国はほんとうに経済大国3位の国かと思います。ほんとにこの国の民の事を考えるならいち早くアメリカに行ってワクチンを優先的にまわしてほしいと死に物狂いで交渉に行くはずです。オリンピックもあるのでこれ以上日本国内で感染拡大さすわけにはいかないと何が何でもワクチンを勝ち取ってくると思いますが、それなのに安倍のマスクやコアラかなんか知らないけど何の役にも立たないものに何千億のお金をかけて、このざまです。それだけのお金があるなら民間の薬剤メーカーに資金を供給して一日も早くワクチンを作らせられたのではないでしょうか、また、俺が交渉に行くと立ち上がった政治家が誰もいないなんて、皆、他人ごとなんでしょう、わたしらビジネス感覚では全く考えられないです。自分の会社の大事な従業員やお客さんの命が掛かってるのですよ、どないかしてでも皆の命を救わなければと後先考えずに行動しますよ、なのにこの国の政治家たちは誰一人この有事の危機感を感じていないし、国民の命がどうなろうとも関係ないという事がよくわかりました。もう何年もしたらこの国は先進国ではなく、先進劣等国になり世界からも国民からも見放され三流国になります。早く新しい本当の意味でのリーダーシップを発揮できる有能な政治家にこの国の未来を託さないと、もうあまり時間がないですからね、

今こそ先義後利に学ぶ②

時は1837年天保8年に大塩平八郎の乱」である。1833年に起きた天保の大飢饉をきっかけに、飢えに苦しむ人が増大した江戸末期。餓死する人が数多く出ているにも関わらず庶民への救済策を講じない幕府に対し、大塩平八郎が起こしたのが「大塩平八郎の乱」です。幕府の支配が弱まるきっかにもなったこの事件の概要やきっかけ、大塩平八郎の百貨店「大丸」との意外な関係性のお話です。彼は代々、大阪の東町奉行組与力をしていた家の8代目。与力とは幕府の役職名で、上官が町奉行をする際の補佐にあたり、それなりの地位がありました。大塩平八郎は、頑固者でありながらも汚職を嫌う正義漢として、不正を次々と暴き、同僚の悪事も内部告発するほどの辣腕ぶりだったそうです。

当時、腐敗していた奉行所内では、少なからず彼を憎んでいる者も存在していました。しかし市民からは尊敬を集め、上司の高井実徳(たかいさねのり)も、彼を後押ししていたそうです。しかし1830年にそんな高井が転勤することになります。すると大塩は与力を退職し、独学で「陽明学」を学ぶようになりました。陽明学とは、自身の純粋な心の声に素直に従い、自分が本当に正しいと思うことは何かを考える学問のことです。大塩平八郎が生きた1800年代の日本は、長期にわたって飢饉が発生した時期でした。江戸時代には4回の大飢饉がありましたが、彼が経験したのは1833年から1839年にかけて起きた「天保の大飢饉」です。主な原因は、大雨による洪水や冷害などが原因の大凶作でした。

そして当時の幕府や商人たちの対応に不満を抱いたことが、彼が反乱を起こした大きな理由です。「天保の大飢饉」は、1833年の秋から1834年の夏にかけてと、1836年の秋から1837年の夏にかけて、特に大きな被害があったといいます。1度目は大阪西町奉行を務めていた矢部定謙(さだのり)やその部下が尽力して切り抜けることができました。しかし2度目の際には矢部が転勤していて対応できず、豪商たちが米を買い占めたため、価格が高騰。民衆は手を出すことができず、ますます食べるものが無くなってしまいました。大塩平八郎は、大阪で暮らす人々が苦しんでいることに危機感を募らせます。東町奉行に対してさまざまな働きかけをしますが、まったく聞き入れてもらえません。政策が却下されると、今度は私財を投げ打って救済活動をおこないました。しかし治安が悪化していきます。

そこで大塩は、奉行らを討ち、豪商も焼き討ちにするしか根本的解決は望めないとして、門下生と武装決起を決意することになるのです。1837年のことでした。兵火に焼かれた家は2万戸、大阪市の4分の1にものぼり、死傷者は2万数千人と記録されている。その中で襲撃を免れた店があった。「大丸」である。大丸の前に来た大塩は「大丸は義商なり、犯すなかれ」と叫び、民衆を抑えたと伝えられています。彦衛門の時代から120年以上も経っているにもかかわらずその先義後利の教えは大丸の商いに根ずき300年以上経った今でも大丸の社是として大切に受け継がれています。

つまり創業者下村彦衛門は「顧客第一主義に徹すれば利益は自ずからついてくる」という考え方です。先義後利、今の時代には一番大事な教えではないでしょうか、今でいうコロナ過の中での献身的な医療スタッフの皆さんは言うまでもなくこの教えを実践なさっておられます。我々一人一人が今、社会の為、皆の為に何ができるかを考え生きていかなければならない時代ではないでしょうか、

今こそ先義後利に学ぶ①

久しぶりのブログを書かせて頂きます。世界中で新型コロナが猛威を振るっており、我が日本も第2波ともとれる感染者が日に々急速に増えてきており、予断を許さない状況に陥っております。これ以上経済を停滞させるわけにはいかず、さりとて経済を最優先させると感染者が増大していき、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでおそろおそろ前進していかなければなりません。

ほんとにやっかいな日常になってきました。でも自分が思う人のあり方は人に会って目を見て肌と肌を触れあわせてはじめてコミュニケーションがとれてお互いが良い関係で長くお付き合いができるというものではないでしょうか、今の時代このコロナ過で人とはリモートで話をしてそれで事が足りると社会が容認するようになってきました。また今までいかに無駄な訪問やアナログなやり方でコストをかけていたかと気づかされたと多くの企業が声を揃えて言っていますが果たしてそうでしょうか、確かに感染予防の観点からは意義のある事でしょうけど、本来の人としての関わり合いではないですね、このコロナが終息した折には今一度人間としての基本理念に立ち返りよい良い社会を築きあげたいものです。

さて今回は先義後利というお話です。道義を優先させ、利益を後回しにすること。「義」は人として当然あるべき道の意味。「利」は利益のこと。「(義)ぎを(先)さきにして(利)りを(後)あとにする者は栄える」との教えです。時は1712年享保2年「大丸」の業祖、下村彦衛門は29歳で京都・伏見に大丸の前身である呉服屋「大文字屋」を開店した。その後、彦衛門は順調に商売を広げていき創業20年の節目に荀子の言葉を借りて自らこう記したのである。

彦衛門は兼ねてから貧しい者には施しをいとわない「義の人」であった。世間では目先のことで商いをする者があるが、そういうやり方は嫌いだと言い残している。そして彦衛門は「人は正直で慈愛に富むのが一番、衣服や食事のおごりもいけないが、心のおごりが最もいけない。いかに才知に優れていても不義理な者は社会の役に立てない。まして主人たるものは、正直・律儀で慈愛深くなければ多くの人たちの上には立てないと義の人を貫いた人であった。